現場レポート
電気予報士・伊藤菜々さんレポート!福島第一原発の廃炉への現状
2011年の東日本大震災に大きな被災を受けた中には、福島第一原発とその周辺エリアもあげられます。津波の影響で発電所内の電源が機能を失い、核燃料を冷やすことができなくなり、燃料自信の熱で溶けてしまうメルトダウンや建屋の爆破、放射性物質が放出されるという事故が起こりました。それから12年経った、福島第一原発の今と周辺地域の復興状況を見学してきました。写真:現在の第1号機
福島第一原発で起きたことと今の姿
2011年の東日本大震災のことは多くの人が覚えているかと思います。大きな地震がきた後に、東北の太平洋側は大きな津波が押し寄せました。私も都内から津波の様子をテレビで見て、大変なことが起こっていると感じたのを覚えています。その後も余震が続き予断を許さない状況が続きました。その時、福島第一原発では、地震によって発電所のすべての外部電源を失いましたが、非常用電源が作動したため、一時的に原子炉が冷却できました。しかし、その後の津波により、地下にあった非常用発電機や原子炉の熱を冷やすためのポンプ設備などが水没、燃料を冷やすことができなくなってしまったのです。 原子力発電の仕組みは、燃料の中にあるウランが核分裂を起こすときに発する高熱を利用して、水を蒸気に変えてタービンを回します。燃料の中で核分裂は続き、冷やさないで放置しておくと過剰な熱を発してしまい、燃料棒が水蒸気中にむき出しになり、燃料自体が溶けてしまいます。原子力発電の燃料は高い放射能を持っており、人間に害があると言われている放射性物質を発するため、何重もの壁で安全に守られています。 福島第一原発では稼働していた1~3号機で冷却ができなくなり、燃料が過剰な熱を発してしまったため、事故がおこってしまいました。1号機、3号機では燃料がむき出しになり、水蒸気と反応して水素が発生し爆破。そこから放射性物質が大気に放出してしまったのです。その後2号機でも冷却ができなくなり、1号機の爆破で空いたと思われる穴から放射性物質を大気に放出しました。近隣エリアでも、安全に人が生活できる放射線量を上回ってしまい、避難を余儀なくされてしまいました。現在でもまだ、機関困難区域というエリアという居住できない土地がありますが、特定復興再生拠点として少しずつ復興を進めているエリアもあります。
また、福島第一原発事故では、過熱した燃料が高温になりすぎ、燃料自体を溶かしてしまう「メルトダウン」という現象も起きました。燃料は棒状に敷き詰められ、何本も束ねた状態で燃料格納容器に格納されています。燃料は核分裂を続けるため、人が遮蔽物なく近くによると人体に影響があるレベルで被爆してしまいます。普段はクレーンで燃料棒が集まった燃料集合体を、放射性物質を遮る水の中で移動させますが、燃料自体が溶けてしまうとクレーンで取り除くことができません。 しかし、メルトダウンした燃料(燃料デブリ)は他の金属も巻き込みながら大量の放射性物質を放出するため、廃炉を進めるには安全に取り除く必要があります。約800tあると言われている燃料デブリを取り出すために、特殊なカメラ付きのロボットアームが開発されましたが、一日に取り出せる量は数グラムだそうです。安全に廃炉にするには、まだまだ長い道のりだということがわかると思います。今は1日約4000人もの人々が出入りし、廃炉に向けて作業を行っています。
上記の場所は、第1号機の原子炉建屋から80m離れた場所ですが、このように私服でも立ち入ったり、作業ができたりするほど放射線レベルが下がっています。とはいえ、原子炉の近くへはまだほんの短い時間しか滞在することができず、ロボットを活用したり、作業を交代交代で行ったりしているそうです。今回案内してくれた経済産業省の木野正登さんは、福島を第二の故郷だと思っており、福島の復興や廃炉問題に人生をささげるとおっしゃっていました。
今話題の「ALPS処理水」ってなに?
今でも福島第一原発の燃料デブリを冷やし続けている水があります。そのほかにも、地下水が原子炉格納容器に浸水し、燃料デブリに触れてしまうことで放射性物質を含んだ汚染水がつくられています。ALPS処理水とは、この汚染水をALPS(多核種除去設備)というさまざまな放射性物質を取り除くフィルターで処理した水です。
このフィルターを通しても唯一取り除けないのがトリチウムという放射性物質。トリチウムは水素の同位体であり不安定な物質のため、放射能を持っています。このトリチウムを含んだALPS処理水を海洋放出する計画があり、早ければ今年の春には海洋放出を実施します。放射性物質ではありますが、トリチウムは自然界にも存在するものです。海洋放出する水は国の安全基準の40分の1、WHOの飲料水基準の7分の1までにも薄められます。 ALPS処理水は1日約140t増え続けています。昔は540tほど増えていましたが、地下水の侵入を防ぐ凍土壁などの対策で、汚染水の発生量を減らすことができたそうです。しかし、増え続けていることに変わりはなく、ALPS処理水を一時保管するためのタンクが1066基(23年4月6日現在)もあります。タンクを作る場所も限られており、すでに97%を使用しているため、ALPS処理水を放出する必要があるのです。
広い福島第一原発の敷地を移動していると、あらゆるところにタンクが置いてありALPS処理水が溜まっていることを実感しました。実は原発の敷地内で出た、使い捨ての作業着やごみは放射性廃棄物という扱いになるため、原発の敷地内で処分をしなくてはなりません。ALPS処理水のタンクはすでにいっぱいですが、わずかに残された土地で、ほかの廃棄物を処分する施設も建設する必要があります。 ALPS処理水の海洋放出に伴い安全性を再確認するために、福島第一原発の構内では、ヒラメやアワビの養殖もおこなわれていました。わたしも実際にALPS処理水を持ってみましたが、たとえ飲んだとしても科学的に人間に害はないようです。実際に放射線測定器で測ってみたところ、ALPS処理水では何も反応せず、ネット通販で売っているラドン温泉の元では反応しました。厳重の注意が図られ、安全性が保たれているということを知っていただければ幸いです。
一緒に視察に行ったメンバーの感想
今回は、私のyoutuber仲間である電気工事系youtuberのつっちーさん、建設系youtuberの石男くん、同じく建設系の経営者である小田島さん、大学生の金澤さんと視察にいきました。 〈電気工事系yotuberのつっちーさん〉 組織の大きさを感じた。電気工事の現場に携わる身として、大きな一大プロジェクトであり、何かを作り上げるわけでもなく国のために廃炉を進めるということに偉大さを感じた。廃炉は必ずやらなければいけない問題なので、ビジネスとして取り組める仕組みをつくったらいいと思う。 〈建設業の石男くん、小田島さん〉 一つの現場として見た際に、かなり事故件数が少ないことにびっくりした。普通の現場では考えられないような安全対策をとっている。ALPS処理水のタンク建設を一つにとっても、すごく丁寧に工事をしている印象を受けた。また風評被害について、科学的に害がないことを証明されているにもかかわらず、影響力の強い知識のない人の言葉で風評被害になってしまうことが残念。私たちのような見学の機会をいただいた人が地道に発信し続けるしかない。 〈大学生の金澤さん〉 福島第一原発での原発事故の凄惨を間近に感じることができ、非常に貴重な経験が出来た。特に、水素爆発した原子炉建屋は鉄骨がむき出しになっていて言葉にならない気持ちを抱いた。震災の凄惨を忘れないためにも、視察に行けて本当に良かった。また、今回の視察では原発の中に入って機材の説明や動作の原理を解説して頂いたので、原発が非常に複雑なシステムであることに驚くと同時に、そのようなシステムを運用している原発職員の方々に大きな尊敬を抱いた。 みなさんの視点から感じることがあり、とてもいい視察になったと感じています。廃炉に真摯に向き合う方々を見て、私の知識も深みを増しました。今後は廃炉の問題や、放射性廃棄物の最終処分地の課題も発信していきたいと思います。
周辺の様子と復興の状況
今回宿泊したのはJビレッジという施設で、スポーツができるグラウンドと会議室や宿泊施設も備えた、日本代表も訪れるなどサッカーの聖地のような施設。Jビレッジは震災時に福島第一原発への物資を運んだり、復興に向かったりする人たちの拠点となっていました。Jビレッジの元コーチは当時の状況を次のように語ります。 「震災直後は福島第一原発への物資や現場に向かう人の中継拠点となりました。トルシエジャパンも練習していた大切なグラウンドが駐車場になり、胸が痛みました。グラウンドの芝は再生するのが難しく、一時はJビレッジもまた再生することができないのではないかと言われていたからです。しかし、2019年にはすべての施設が利用できるようになり、今ではU18の大会も開かれるなどして活況が戻っています。Jビレッジから福島の復興につながれば嬉しいですね」。 私が写真を撮った綺麗な芝生も、震災直後は車が出入りし芝の跡形もない駐車場になっていたと思うと心が痛みました。
福島第一原発周りには、まだ住むことができない帰還困難区域というエリアがあります。平成29年5月からはさらに特定復興再生拠点区域が制定され、居住に向けた除染やインフラ整備が行われています。とは言え、現状は13年前に避難をしてから帰ってくる人は僅かで、人口は激減しています。 街は当時のまま残されており、人々が慌てて避難したあとも何もできなかったことがよくわかりました。12年前の時が止まったままで、住宅もそのまま、お店もそのまま残っていました。写真は2011年4月にオープン予定だったケーズデンキです。震災後も解体できず、オープン前の綺麗なままの姿を見て、このエリアは時が止まったままなんだと思いました。
今回の視察で感じたこと
福島第一原発の中はもちろんのこと、周辺地域に足を踏み入れたのも初めての経験でした。 まず驚いたのは、毎日、たくさんの人が廃炉に向けて作業をしていることです。社会のために、日本で生きる多くの人々のために懸命に作業を続ける姿に感銘を受けました。 ALPS処理水や原子力発電については良く知られておらず、危険、危ないという風評被害が起きています。福島第一原発の事故ではたくさんの方が被災し、甚大な被害がありましたが、それを風化させることもなく、教訓として前に進むことが大事です。これからも、事実を伝えながら、明るい未来に向かって前に進み続けるみなさんを応援し、メッセージを続けていければと思います。
プロフィール
上智大学経済学部経営学科卒業。電力全面自由化に伴い新電力の立上げに関わった後2019 年から独立し、現在の有限会社スタジオガルを開業。
電力事業の立ち上げ・運営支援、企業PRや商品広報、ZEH住宅やマイクログリッド等の地域脱炭素活動を行う。実績として、電力会社や企業での講演、学校での講義、展示会やイベントの出演を行う。 電気業界をたのしく!わかりやすく!解説した Youtube チャンネル「電気予報士なな子のおでんき予報」を 2020 年 4 月開設し情報発信中。 第二種電気工事士、電験三種取得。現在電験二種の合格に向けて勉強中。