現場インタビュー, 電気業界の仕事とは?
「業界に革命を起こす!」株式会社くれよんの稲田さんが異業種から電気工事の道に進んだワケ

電気工事界で異彩を放ち、電気工事業界に変革を起こそうと奮闘している企業があります。それが株式会社くれよんです。代表を務める稲田弘樹さんの前職はIT系の企業でしたが、そこでの出会いが稲田さんの人生に大きな光を照らすことに…。
前編では稲田さんの経歴から電気工事へと転身したきっかけについて伺います!
プロ野球選手を目指し、厳しい練習の日々を過ごした高校時代
ーー稲田様の学生時代について教えてください。
思い返せば、今の僕があるのはこの時の経験があったからかもしれません。
小学生の時から野球を初めて、中学生でも野球を続けて、それから推薦で野球専門コースがある高校へ入学し、プロ野球選手を目指して3年間、野球ばかりしていました。全国でも有数の強豪校に入学し、毎日、厳しい練習の日々を過ごしていたのですが、周りにすごい人が多すぎて、どんなに頑張っても彼らを超えることができないと、高一の時点でわかってしまったんです。練習もあんまりしていないうえ、僕とも体格が変わらないはずなのに、軽々と豪速球を投げるやつがいる。ああ、これが才能ってもんなのか、野球のセンスと身体能力はイコールではないのか…。どんなに頑張っても、そこには越えられない壁があったのです。

ただ、やっぱり努力は大事ですし、何もしなければ何も積み上げることができません。辛いことも多かったけど、最後の最後まで努力を重ね、自分なりの結果を残しました。頑張れば必ず何かを得ることができる。それは仕事も同じじゃないだろうか。ただ、野球は持ち前のセンスも必要だからプロになることは叶わない。高校生の時にそうした社会の現実を突きつけられました。
とはいえ、この辛い時期を乗り越えてきた強さがあるから、社会に出ても大変だと思うことがない。この3年間があったからこそ、精神的にも肉体的にも強くなれたのだと思います。ビジネスは、頑張れば結果がついてくるはずだ。野球では成功できなくても、将来は自分でビジネスをして成功を掴みたい。高校生のときから、すでにそうした思いが芽生えていました。
ーーその後の進路はどうされましたか?
大学へは進学せず、システムエンジニアへの道を目指して、大阪にあるコンピュータの専門学校に入学しました。野球推薦で大学進学の道へ進む仲間も多かったけど、父がSEだったこともありましたし、もともとパソコンにも興味があったので、専門学校で2年間学ぶ方を選びました。

在学中に就活をして、2社、最終面接まで進んだのですが、どちらも最終面接で落ちてしまって。「なんでですか?」って聞きにいくほど心から悔しかった。最終的には、元々知っていたIT系の会社へ就職。この時に、自分で会社を作って必ず結果を出してやるぞ、と心に誓います。
営業でコミュニケーションスキルが爆上がり
ーーその会社ではどのようなお仕事をされていたのでしょう。
社会人として初めての仕事は、OA機器の営業でした。従業員は社長を含めてたった4人。研修制度があるわけでもなく、いきなり飛び込み営業からスタートしました。
実は、もともとムスッとしていてあまり話すのが得意ではなかったのですが、営業なのでお客さんにものを売らなくてはならない。初対面の人と会話するには、話すきっかけを作り、興味を持ってもらう必要がありますよね。営業スキルを上げる方法の一つとして、「ナンパできたら営業ができる」って聞いたことがありませんか? それを実践してみたり(笑)、どれだけ長く立ち話ができるか自分の中でタイムトライアルをしてみたり。色んなお客さんと出会いながら、多くのことを学んでいきました。生粋の営業マンではないけど、ある程度話せる適性はあると理解したのもこのとき。

勤めていたのは小さな会社だったので、自分で売ったものは、自分で見積もりを作って、自分で納品して、メンテナンスしてと、基本的に本人に任せるスタイル。見積もりを作りながら商談の会話を考えるなど、あらゆる営業のノウハウをここで学びつつも、あとは実践あるのみでした。それから1年半後、自分の力を試そうと思い独立を決意します。
そこでまずは個人でOA機器の販売を始めました。当時はまだ22歳。とにかく勢いと行動力だけはあった。たまたま当時お付き合いがあったリース会社が個人でもリースの代理店をさせてくれたので、売上自体は順調。2年目にはなんと月100万ほどの利益を生みました。しかし、新規顧客の開拓をほとんどしてこなかったため、売り上げが毎月どんどん下がり、67,000円なんて時も…。そんな不安定なタイミングで出会ったのが電気工事の仕事でした。
お手伝いから入ってどんどん気づいた電気工事の本当の魅力

――どのようなきっかけで電気工事の仕事に興味を持たれたのでしょう。
会社勤めをしていた頃からお世話になっていた電気工事会社の社長さんに、「手伝ってみないか」と声をかけられたことがきっかけです。防犯カメラが売れた時に工事を依頼していた会社さんなのですが、私自身はここまでお伝えしてきた通り、もちろん資格もないし、電気の知識も現場の仕事経験も皆無。それでも大丈夫と言うことで、まずはお手伝いから始めました。日中はOA機器の販売、夜は現場へ向かう日々。そのおかげで売り上げも徐々に回復しました。
現場の仕事は知れば知るほど面白い。奥が深い。これほど生活の近くにあっても、見えないから気づくことができなかった。しかし、こんなに繊細でロマンを感じる仕事があるとは…!そこから本格的に電気工事の仕事へ主軸を置こうと考えるようになります。OA機器の営業は契約さえ取れればなんとかなるため、多少粗い部分があるというか、成果を上げたもん勝ちみたいなところがあったんです。しかし、現場の仕事は頑張ればしっかり成果を認めてもらえて、途切れることなく仕事をいただける。その現場では若手でお手伝いできる人を探していたので、友人にも声をかけ、仲間を増やして行きました。
――どのタイミングで第二種電気工事士の資格を取得されたのでしょうか。
夜勤で仕事をしていた時に取得しました。現場で手伝いをしながらだったので、参考書を見ても工具の名前やどんなシーンで利用するかがすぐに理解できました。それに加え、YouTubeを見たり、過去問を解いたりして、第二種電気工事士資格取得に向けた勉強をしてたら、比較的スムーズに資格が取得できました。

もともと現場の仕事は夜勤がメインでしたが、そのうち日勤でも声をかけられる機会が増え、徐々にOA機器の販売と比率が逆転していきます。目標を掲げ、仲間たちと切磋琢磨していくうちに、売り上げも安定してきたため、電気工事業として法人化することを決意。それが27歳の時でした。全くの未経験からスタートしましたが、電気工事は頑張った分、しっかりと成果が出る。それは大きな成功体験でした。この時に建設業の許可も取得し、本格的な電気工事会社としてスタートします。
>>>後編へ続く!
※なお、稲田さんは先日開催されたジョブトライアルにもご参加くださいました!電気工事士の魅力を語ってくれていますので、こちらも要チェック!!
プロフィール
稲田弘樹
株式会社くれよん代表取締役 CEO
小学校の頃からプロ野球選手を目指し、高校まで野球を続ける。高校卒業後は、SEやプログラマーになるためにIT関連の会社に就職し、1年半で個人事業主として起業。起業から3年後に電気工事の世界に触れ、副業で始めた電気工事が現在の本業になる。27歳の時に電気工事会社を設立。未経験で踏み入れた電気工事の業界は苦悩の連続で、2期目に1700万円もの赤字を抱え、一念発起して現在に至る。現在21名(2025年4月時点)の職人を抱えており、平均年齢は28.2歳。