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電気なデンキ。日本初エレキテルの復元を遂げたイノベーター・平賀源内 その4
その4では、いよいよ、平賀源内が日本初の電気技術者として活躍したときのお話をご紹介します。
江戸の電気技術者として活躍
平賀源内の功績としてもっとも有名なのが、エレキテルの復元です。 源内が破損していたエレキテルを修復したのは1776年。当時はまだ今のような電気設備はなく、1745年に静電気の蓄電器ができ、イタリアの物理学者、ボルタが考えた起電力0.76Vの一次電池が誕生したのは1799年のこと。世界でも、電気の発明に対して手探り状態の時期でした。
エレキテルってなに?
「エレキテル(摩擦静電気発生装置)」とは、摩擦を利用した静電気の発生装置のことです。語源はオランダ語(ラテン語)のelektriciteit(電気・電流)が訛ったもの。木箱の中のガラス円筒を、箱の外の取り付けられたハンドルで回転させることで、金箔との摩擦によって静電気が発生、それが蓄電器に溜まります。そして、この溜まった静電気を銅の線で外部に導き、放電するという仕組みになっているのです。 さて、このエレキテルの装置を、源内はどのようにして入手したのでしょうか。 それは、源内が44歳のとき、2回目の長崎訪問時にオランダの通詞だった西善三郎の遺族から受け取ったと言われています。その時の源内はまだ電気の知識などなく、通詞の助けを借りながら西洋の原理や仕組みを学び、7年という長い年月をかけて完成させました。ちょっとやそっとじゃ諦めない、トコトン追求しなければ気が済まない源内の性格がよく現れていると言えるでしょう。
完成した日本初のエレキテルは、“見世物”だった
源内が復元したエレキテルは現存するもので二台。通信総合博物館(東京)と平賀源内先生遺品館(香川県さぬき市志度)にそれぞれ保管されています。源内は修理したエレキテルを、貴人や金持ちへの見世物として人気を博します。治療用にも使用したとされていますが、バチッとやって、一瞬、人を驚かせるだけのものであるため、その効果は…今とは比べ物にはならないでしょう。